3週間遅れを承知で、幾松誕生日。危うく忘れるところだったのはここだけの秘密(爆死)
「幾松っちゃん、今日誕生日だよねぇ。」
急に振られた話題に、麺の水を切ろうとして振り上げた手が止まった。
「何だい、いきなり。」
「昔、大吾から聞いたんだよ。8月25日、そうでしょ?」
自分の亡き夫であり、『北斗心軒』の初代店主の大吾が健在だった頃からの常連たちは、そう言って人なつっこい顔で笑った。
「そうだけど………。」
「へー、誕生日今日なんだ。」
「何、いくつになったの?」
「女の歳を聞くモンじゃないよ。ねぇ幾松っちゃん?」
「あたしゃよりは若いよ。」
「違ぇねぇ。」
カウンターだけでなくテーブル席にいた客まで、話に乗ってくる。
この前還暦を迎えたという、常連の奥さんの言葉に、どっと笑い声が湧いた。
「それで? まさか、誕生日プレゼントでもくれるっていうのかい?」
騒ぐ客席を気にしない風で、幾松は手際よく綿の水を切り、丼の中に泳がす。メンマとナルトとコーンを乗せて、完成。
「はいよっ。味噌コーンお待ちっ。」
「幾松っちゃーん。俺そばー。」
「トッピングは?」
「小豆サービスとかないの? ない? じゃぁかけで。」
「アンタあいかわらず、一番安いモンしか頼まないんだね………。」
呆れたようにいいながら、幾松は注文の品に取りかかる。
蕎麦をゆでて、粗熱を取る。ラーメンとは別のめんつゆを入れた丼に泳がせて、刻みネギを乗せる。
物好きで頼んでいく客たちのおかげで、蕎麦の手際もだいぶ良くなってしまった。
「はいよ、かけそばお待ちっ。」
「幾松っちゃん幾松っちゃん。」
「なんだい。」
呼ばれて振り向いた幾松は、目の前にいきなり現れた白いモノに動きを止めた。
「………何よ、これ。」
「胡蝶蘭よ。高かったのよー。」
「お店に飾るとちょうどいいんじゃない?」
「今年は開店10周年でもあるんでしょ? そのお祝いも兼ねてみたのよ。」
常連の奥さんたちは、楽しそうに胡蝶蘭の鉢植えを差し出した。受け取らないのもなんなので、手をタオルで拭いてから、お礼を言って受け取る。
「でもこれ、高かったんじゃないのかい? いいの?」
「いいんだよ、プレゼントなんだから。」
「みんなで出し合ったの。だから幾松っちゃんは気にしないで。」
「………ありがとう。」
大きな鉢植えから何本も伸びた茎には、いくつもの白い花が咲いている。確かに、飲食店にしては、お品書きくらいしかないこの店は殺風景かもしれない。でも。
「こんな大きなモノ、どこに飾れってのよ。」
「どこでもいいじゃない、イスの上に置くとか。」
「あんたの指定席つぶそうか。」
歯に衣着せぬを通り越したやりとりに、再び店内は湧く。
「どうしようかなぁ………。」
まんざらでもない顔で呟きながら、幾松は下げられたお膳の洗い物に向かった。
内心の動揺を、押し隠しながら。
午後10時、店は閉まる。
厨房は真っ先に片付けた。客席のイスを全部テーブルの上に上げ、床を掃く。
外ののれんを片付けようとして、ドアに手をかける。幾松が力を入れる前に、それは音を立てて開かれた。
「「あ。」」
二人して、動きを止めた。
先に動いたのは、訪問者の方で。
「もう店じまいか、幾松殿。」
「あんたも元ここのバイトなら、10時閉店だって知ってるだろ?」
訪問者・桂小太郎をおしのけて、幾松は外に出た。桂のすぐ後ろには、エリザベスが控えていたのだが、飼い主の動きにあわせて道を空けてくれる。
「ペットの方が気が利くね。」
「当然だ、エリザベスなんだからな。」
「あんたが気が利かないって、言ってんだよ。」
昼間はまだ暑いが、夜はだいぶ過ごしやすくなった。かすかに吹く風が、一日の疲れを吹き飛ばしてくれる気がする。
「おじゃまします。」
「………もう店じまいなんだけど。」
許可は出してないのに店内に入り込んだ桂とエリザベスを見て、幾松はため息をついた。
今日は、正直会いたくなかったのに。
「ラーメンも蕎麦も出さないからね。」
「チャーハンも駄目か、幾松殿。」
「当たり前。もう店閉まってんだよ。」
イスも全部テーブルの上に上げてしまっているので、一人と一匹は立ち往生している。それでも、勝手にイスをおろして座ろうとはしないらしい。
(何しに来たんだろ。)
レジを開けて、売り上げとレシートを確認する。それを大きな財布に入れて、金庫に移す。
「金庫の場所、変えていないのだな。」
「誰も知らないもの。」
「俺は知っているのだが。というか、不用心すぎやしないか。」
「そうかい?」
やることを全て終わらせた幾松は、憮然とした顔の桂を見て笑った。
自分でも、おかしいと判っているのだけれど。
目の前のこの男が、金目当てに押し入ったりはしないと、何故か信じている。
「で、閉店したラーメン屋に何の用?」
いつまでたっても立ちっぱなしの桂とエリザベスに、幾松はカウンターのイスをおろした。
「あぁ、長い用事ではないのでお構いなく。」
「そう言いながら座ってんじゃないよ。」
カウンターの内側に回って、二人にお冷やを出す。
「今日が、幾松殿の誕生日だと聞いてな。お祝いに来たのだ。」
「………誰から。」
「銀時だ。」
そういや、いたな。
金が入ったとか言いながらいつも一番安いメニューしか頼まず、しかも小豆を入れて宇治銀時麺にしたがる常連の顔を思いだす。
「で、わざわざプレゼントでも持ってきてくれたっていうのかい?」
「うむ。」
隣に座っていたエリザベスが、そっと風呂敷包みを差し出した。なにやら細長い。
「………あんた。」
開けてみて、幾松は眉をひそめた。
「ラーメン屋のメニューに蕎麦加えさせただけじゃ、まだ足りないってのかい? メニューのバリエーション増やそうっての?」
「本場信州の茶そばなのだが、気に入らなかっただろうか?」
「あたしの言ってるのはそういう事じゃなくてね。」
どこまで蕎麦好きなんだこの男、と思ってしまう。
「誕生日のことを先ほど聞いたばかりでな、会合もあったし、それくらいしか用意ができなかったのだ。ちなみにらっぴんぐはエリザベスがしてくれた。ほら。」
なんだか得意そうな桂に促されて見れば、蕎麦をまとめる紙紐に、黄色いくちばしを持った白くて丸い顔が。
「………誕生日だって言うなら、ケーキとか、せめて花が無難なんじゃない?」
店の隅に飾った胡蝶蘭を指し示す。
それを見た桂は、眉をひそめた。
「見知らぬ男から花を贈られては、ご主人殿も浮かばれまい。今頃草場の陰で泣いているぞ。どこの男にもらったのだ。」
「あんたが咎めるのかい。」
苦笑する。
一応、この男も考えてはいるようだ。
「店の常連さんだよ。アンタも知ってるだろ、岡田さんとか中島さんとか。」
「そうか。」
桂は納得したようだった。お冷やを一口、口に含む。
そして。
「お誕生日おめでとう、幾松殿。」
『おめでとうございます、幾松さん。』
そんなことを、言うから。
「………もう、祝われても嬉しい歳じゃないよ。」
ぽろっと、零れてしまった言葉に、慌てて口元を抑える。
「何故だ。確かに女子は若々しく見られたがるのは判っているが、幾松殿はとても40歳には見えぬぞ安心してくれ。」
「あたしゃまだ35だっっ。」
思わずお冷やを頭からぶっかけてしまった。
「あぁ、すまぬ。」
桂は動じないようだ。エリザベスからハンカチを受け取り、髪からしたたり落ちる水を拭いている。
「………幾松殿は、立派に、この店を守っている。その姿勢はとても美しい。幾松殿がいくつになろうと、それは変わらぬ。むしろ、年を重ねることで人妻としての魅力は増していると思うのだが。」
「悪かったね年増で。」
意地悪な笑いを浮かべようとした。顔が、不自然にゆがむ。
ダメだ。
「そうじゃ、なくてさ。」
この男に、当たっちゃいけない。
この男が悪いんじゃない。
ふるえる唇を押さえようとして。
「幾松殿。俺は、元過激派テロリストだ。」
その桂の言葉に。
ふるえが、とまらなくなる。
「大吾………が。」
この男に当たっちゃいけない。
「大吾が、もういないのに。」
この男が悪いんじゃない。
「あたし一人が、歳をとってく。」
置いていく。もう、歳を取らないあの人を。
いや。
置いていかれたのは、自分。
それを、思いだしてしまう。今日は。
「幾松殿。」
それを思いださせる、この男が嫌いだった。
桂一派のテロじゃない。この男があの人を殺した訳じゃない。
でも。
攘夷派を代表して、幾松の恨みを受け止めようとする、この男が嫌いだった。
そんな、まっすぐな姿勢を示されて。どうして恨み続けられるというのか。
「幾松殿。」
静かな声で、名を呼ばれた。
「幾松殿もいつか、ご主人殿の所へ行く。百年先か、二百年先か、判らぬが。」
「あんたあたしをどれだけ化け物にしたいんだい。」
「不可能ではないかもしれんぞ。今、どんどん医療技術が上がっているからな。チューブだらけになって死にたくても死ねないほど。」
「そんなまでになって生きたくはないね。」
「生きていて欲しいと、周りは思うだろうが。」
水を一口飲んでから、桂は続けた。
「その時に、話をたくさんすればいい。」
「話?」
「俺のこと。エリザベスのこと。蕎麦のこと。銀時のこと。岡田殿のこと。中島殿のこと。佐藤殿のこと。吉川殿のこと。この前てれびじょんに出たこと。何でもいい。ご主人殿が亡くなられてから、幾松殿に起こったことを。」
視線を、お冷やのコップから幾松へと向ける。
こっちが戸惑うほど、まっすぐな眼差し。
「35歳の誕生日を、どんな風に過ごしたか。歳を取って、どんな風に感じ方が変わったか。それを、話せばいい。」
歳を取るのは、置いていくのじゃない。
また出会えたときに、伝えたいことが増えていくだけ。
すっとコップを傾ける。中のお冷やは、残り少なくなっていた。エリザベスのはもう空っぽだ。
水差しを取って、二つのコップにお冷やを注ぎ出す。
「あんまり色んな事が起こりすぎて、何を話していいかわかんなくなっちゃうけどね。」
「それでもいい。俺としては、蕎麦の効能とエリザベスの愛らしさのことを忘れてもらわなければ。」
「ラーメン屋主人に後継が蕎麦のことを語れって?」
小さな笑いが、こぼれ落ちた。
口元を手で押さえながら、目の前の男を見つめる。
この男も、いつか逝った者たちにそれを伝えられたらいいと思って、生きているのだろうか。
たとえば、どんな風に話すのだろう。攘夷浪士を嫌いだと公言する、ラーメン屋のことを。
たとえば、どんな風に話すのだろう、自分は。攘夷派の代表である、この不思議な男のことを。
「幾松殿。お冷やおかわり。」
「アンタ用事はもう終わったんじゃないの?」
「会合の後また幕府の狗に追われてな、喉が渇いているのだ。ついでに夕餉も食べていない。」
「閉店だって言っただろ。蕎麦もラーメンも何もないよ。」
「幾松殿。ここに本場信州の茶そばが。」
「アンタ人への誕生日プレゼントを食べようってのかいっ?」
少なくとも、悪いようには言わない気がする。
そう思って、幾松は冷凍ご飯でも残ってないかと、冷凍庫を開けた。
~Fin~