ぱちたんより、こっちが先に上がりました。すいません、リクも書きます。
予定より十日遅れて、松陽先生追悼話。
一昨日の台風はあっという間に関東を抜け、一過のあたたかい青空になった昨日。
「当日晴らすなんて、どんだけ局地的にイイコのつもりだよ。嵐を呼ぶ園児気取りですかー」
不機嫌さを隠そうともせず一日を自堕落に過ごし、マダオの名をほしいままにした銀時は、一日明けた本日28日の夕暮れ、小さな公園のベンチからぼーっと空を見上げた。小さくはないが、雨を予感するほどでもない雲の塊が、ぽつりぽつりと東の空に浮いている。かすかに紅に染まったそれは、まるで。
「マシュマロみてぇ」
「何がマシュマロだ?」
淡々とした声に、視界を天から地上へと下ろす。高くはないとはいえ、近くにはビルも建つ公園内部は、昼の白光から逃れて青い陰の中に一瞬だけ本来の色を見せ始めているように見えた。
「早かったじゃん、ヅラ」
「ヅラじゃない、桂だ」
少し近寄っただけで桂はベンチに腰を下ろさず、ことりと首を傾げた。
「何、変な顔をしている。腑抜け面に磨きがかかっているぞ」
「うっせーよ、おめーはわかんねーのかよこの異臭」
「異臭?」
目を瞬かせてから、ポン、と手を打つ。
「銀杏か」
「そうだよ」
「良いでないか、先生もお好きだっただろう。それに慣れればそう鼻につくというほどでも」
「鼻につくだろーが。おめーと違ってこっちはデリケートな鼻してんだよ」
「お前だって好きだったろう?」
「そりゃ、中身取り出してアクぬいてしっかり炒った奴なら好きだよ? でもこれ違うじゃん、人間の食べ物じゃないじゃん…て拾いに行くな」
はたくと、とても良い音がした。
「なんだ、せっかくエリザベスへの土産にしようかと思ったのに。お前も拾って、リーダーや新八君に秋の味覚を味あわせてやったらどうだ」
「うちにはうちの食育てもんがあるの。てか、そこら辺とっくに中身持ってかれてるぞ」
「マジでか」
ただ臭う果肉部分だけとなった銀杏をつついてから桂は立ち上がった。それからこっちへ来るかと思ったら、今度は公園の裏口近くの木に歩み寄る。小さな滑り台や砂場を備えた児童公園らしく、あちこちの木にはネームプレートがぶら下がっている。それらを小さな声で読み上げ、一つひとつにうなづいている。
「お前ここ初めてだっけ」
「いや」
否定はするものの、桂は散策を止めない。小さな池を眺め、潅木の葉に手をやり、そして隅の小さな石碑に辿りつく。黙ったまま銀時も立ち上がり、数歩後ろのところから、薄鼠色の羽織りを見つめる。
「良い、場所だな」
腰を屈め、石碑の文字を手でなぞりながら、桂は微笑んだ。
「緑が多い。水も豊かで、せせらぎが耳に心地好い。もうしばらくすればイチョウも色づき、山茶花も咲くのだろう。子供たちも、よく通うようだ」
深く、こうべを垂れる。しなやかな髪が、肩から前へと滑り落ちる。
「ここなら、先生もお淋しくはないだろう」
答えず、銀時は空を仰いだ。
ビルに囲まれて夕日は見えないが、金、朱、そして紅色へと続くグラデーションに空が染まっている。浮かぶ雲も、建物の壁も、見渡すかぎり美しく彩られている。朝日ほど輝しくはない、昼の太陽ほど眩しくもない、けれど、それは穏やかにあたたかい色で、世界のすべてを染め上げる。
あのひとの、ように。
「ヅラ、そこにいるわけじゃねーぞ」
「知っている」
桂は立ち上がり、ゆっくりと振り返った。
そこにあるのは、墓ではない。あのひとの遺骨は別の場所に埋葬されている。
戦争の敗者や罪を問われ処刑された者すら墓を作り弔う日本の風習は、天人には理解されなかった。無念のもとに命を落とした者はうかばれず災いを呼ぶのだと、だから安らかに眠るように祈り弔うのだと何度も説明してもそれは受け入れられず、攘夷のもとに戦った者たちの屍は打ち捨てられた。
その志の礎であるあのひとが、どうして安息の地を得られようか。
だが、怨霊を、あるいは遺された者の怒りを恐れたのか、幕府は小さな石碑を立てた。あのひと始め、多くの志士を処刑した、この地に。
「先生は、ここでお亡くなりになった。ここには、先生の最期の意志が遺されている、と思う」
彼奴は認めないだろうが。眉尻が垂れ下がり、桂は小さな声で呟く。銀時の口から、ため息が落ちる。大またで距離を詰め、その薄い頬を思いきり引っ張った。
「ひんひょき、いひゃい」
「つかおめー、昨日ずっとアイツのことばかり考えてたろ」
「ひはひゃひゃいひゃひょう、」
「何言ってんのかわかんねーよ」
「この日を、と思う気持ちは判るのだ。現に俺も、同じことをしたわけだし」
何よりも大事なものを奪われた、その日だからこそ。
思い知れ、と。
「んなことやったらアイツ心配で眠れなくなんだろ。おめーら知らないかもだけど、寝不足のアイツめっちゃ怖ぇーんだぞ。それこそ、でっかい角が見えるくらい。しかも一見笑顔なんだからタチ悪いんだって」
「そう、だな」
眉尻は、さらに垂れ下がる。八の字を通り越しそうだ。ばちん、と顔を正面からはたくと、受け身も取れずに転がった。
「何やってんの、ヅラ。」
「ヅラじゃない、桂だ」
「どうせ寝てねーんだろ」
ため息が押さえきれない。寝る間も惜しんで、起きるかも判らない高杉の陰謀を止めようとしていた桂にではない。毎年酒に逃げながら、偉そうなことを言う自分にだ。
「銀時」
くい、と、袖が引っ張られる。腰を屈めると伸ばされた手が、ふわふわと髪に絡められた。
「辛いのは、俺や彼奴だけではない」
眉尻が垂れ下がるのはさっきと変わらない。けれど、細められた眼が語るのは、自嘲ではない。
昔、同じように笑いながら、あのひとは銀時の頭を撫でた。
「少なくとも俺や高杉よりは、先生も見ていて安心できるのではないか、と思う」
薄闇が降り始めていてよかった。頬が熱くなるのを、コイツに見られずにすむのだから。だから、照れ隠しに殴ってしまうのも、堪えられた。
「ほんっと、おめーってヤツは……」
「俺が、なんだ?」
「……んにゃ」
腰を伸ばし、頭をがしがしと掻きむしる。持て余した感情にも、途切れた言葉にも、桂は何も言わない。
少し硬い、澄んだ音が、その時大気に響いた。金属的ではあるけれど、あたたかい音色が昔親しんだ童謡を唄う。日は既に沈んだのだろう、空を染めていた紅は、ゆっくりと青い色彩に場を譲ろうとしている。
サイレンが、ぼやけた声で子供達へと帰宅を促す。言われるまでもない。空を彩る朱に、いつも心を掻きむしられた。今いる場所から逃れたいわけじゃない、けれどどこかへ行かなくちゃ、と、追い立てられるような衝動を感じていた。
それが、「かえりたい」という想いなのだと。気づかせてくれたのはあの広い背中だ。
「おら、帰るぞヅラぁ」
手首を掴んで引っ張り上げる。「ヅラじゃない桂だ」と口を尖らせながらも、それ以上の不満を見せない。
あの背に負われていたものを、一つも担えていない自分だけれど。帰ろうと手を引っ張れるくらいには、大きくなれていると思いたかった。
~Fin~