何度も言うけど、銀さんは吉原前ですー。
「いーじゃねーかぃ、首輪つけるくらい。」
「そんなものを、つけるシュミも必要も義務も何もない。」
桂は縁側にいた。これは予想通り、思いがけなかったのは、庭先にいるのが猫ではなかったことだ。
「義理ならあるぜぃ。俺がつけさせたがってるってなぁ。」
「だから、俺にはそれを叶えてやる義務などない。」
「一緒に桜見た仲なのに?」
さっと、血の気が引くのが判った。バカなことをとか嘘を言うなとか、否定しろという思いが頭の中をぐるぐると回る。
「それを言うならエリザベスもそうだろう。………まさか、貴様エリザベスにまで首輪などつけようと企んでいるのではなかろうな。そんなことは許さんぞ。」
「だーれがんなこと望むかぃ。」
けらけらと笑って、沖田は幾つかの首輪を取り出す。
「ほら、好きな色選べや。」
「誰が選ぶか。」
「これなんかいーんじゃねぇかぃ? 俺の名前が書いてあるんでい。」
「悪趣味な。どうせなら、『JOY』とか『SOBA』にすればいいものを。」
「これをつければ、オープン猫カフェで猫と一緒に戯れることができやすぜぃ。」
「何?」
あのバカ、食いつきやがった。銀時の位置からは桂の顔を見ることはできない。が、声音だけでそれが判る。
「惜しいなー猫と同化して猫まんま食うなんざ、滅多にできることじゃねーのに。」
桂は一蹴しようとはしなかった。下りた沈黙は、彼が呆れているためではない。
そうっと垣根から覗き見る。灯りに照らされて萌葱色の袴姿の沖田の顔が浮かび上がる。照らされた赤茶の瞳はいつもよりきらきらとしていて、そしてそして銀時はその柔らかいまなざしに憶えがあった。
上京してきたという姉に注がれる、甘えと愛しさの籠もったものだ。
「………もしもーし。」
意識する前にそう声を出し、一歩踏み出していた。はっと沖田が銀時を振り返る。桂は、ゆるりと首をこちらに向けた。かすかに丸くなった眼を除けば、まるで驚いたようには見えない。
「こんなところで何やってんの、総一郎くん。」
「旦那、総悟でさぁ。旦那こそ、ここに何しに?」
「質問に質問で返しちゃだめでしょーが。」
声に少しだけ棘が混じる。それを、沖田は気づいただろうか。
「俺は、夜のお散歩しに来ただけよー?」
「ここは私有地ですぜぃ。不本侵入でさぁ旦那。」
「おたくこそそーじゃねーの?」
「俺は、家主の許可もらってますぜ。」
ぎっと桂へ視線を向ける。あまりにも突然な動きすぎて、自分でも不自然さに呆れ果てた。
「許可など出していないぞ。」
「ほらみろ、総一郎くんの嘘つきー。」
「でも、追い出されもしてやせんぜ。」
沖田は平然と答える。口からもれる舌打ちを、銀時は抑えることができなかった。
「つーか、ここ誰の家か判ってんの?」
奥の手を出す。けれど覚悟の上なのか沖田は動揺を見せない。
「旦那こそ。ここを知ってて通報しなかったんですかぃ?」
それは、あくまで一般市民の善意によるものだ。この件に関しては善意などこれっぽっちも保っていないのだから、立場的には沖田の方がより厳しい。だが、沖田は怯まずそう返してきた。
赤茶色の、二つの視線がぶつかりあう。銀時は、それを知っている。そして、否応なく知らされる。
「………銀時。」
黒板に爪を立てる寸前のような沈黙を破ったのは、ため息と共に吐き出された声だった。
「子供相手に本気で張り合うな。大人げない。」
思わず桂を睨む。その視界の端で、沖田が頬をふくらませるのが映る。
「沖田も、もう帰れ。子供は寝る時間だぞ。」
「まだ十二時前だろぃ。」
「いいからとっとと帰って寝ろ。早寝早起きが、子供が健やかに育つ条件の一つだ。」
沖田はしばし、桂を見つめる。拗ねるような、甘えるような、そんな眼を惜しげもなく晒す。そしてやおら、「へーい。」と踵を返した。
「んーじゃ、今度会ったら百年目ってことで。」
「うむ、百一年後にな。」
銀時の通ってきた裏木戸を使わず、垣根を乗り越えて沖田は出て行った。よく見ればそこは大きく破れていて、侵入経路がここからだと悟る。
小柄な後ろ姿が見えなくなってから、銀時は桂の方を向いた。静かな琥珀と目が合う。
「銀時。」
呼びかけに答えず、銀時は縁側まで大股で近寄った。桂の横1メートルのところに、どかっと腰を下ろす。
「どうしたんだ、こんな夜更けに。リーダーや新八君は?」
「さー? 誰かさんが送ってくっつーのに姿くらますから、ぶーたれてたけど。」
「それはすまないことをしたな。」
柔らかく、桂は答える。よく知っている子供への甘さを再確認してしまい、頭をぼりぼりと掻き毟る。
「………つーか、何なのあれ。」
「あれ、とは?」
「とぼけんじゃねーよ総一郎くんだよ。何しにここに来たの。」
「さぁ。今日は、首輪の訪問販売だったな。」
いつもは襲しにもきてるぞ、と涼しい顔で答えられる。部屋の中へ目をやれば、ふすまや部屋の隅が煤けていて、何度もバズーカぶち込まれていることが見て取れた。
「何、通わせてんの。」
「通わせてなどいないぞ、勝手に来るのだ。」
引っ越しもしないくせに。
銀時の呟きは、桂に聞こえなかっただろう。夜風に髪をすべらせながら、破れた垣根を見つめている。今まで奥にいたのだろうエリザベスがのそっとやってきて、庭に塩を撒いている。つぶらな瞳と眼があって、その心境が読み取れたような気がした。
こいつも、手をこまねいている。おそらく桂が何もさせようとしないからだ。
「おめーもいい加減にしなさいよ。」
「何画だ。ちゃんおt追い払っているぞ。」
「今日はのんきに話聞いてたじゃねーか。」
「襲いかかっても来ないのに、迎撃する必要もないだろう。相手は子供だぞ?」
銀時の不安の一端がそこにあることに、桂は気づいていない。いや。
「心配するな。………討たれなどせんさ。」
そう紡がれる言葉の空白に一瞬瞳が揺れて、銀時は距離を詰めた。
「待て。」
制止する声は、銀時ではなく割って入ろうとしたエリザベスに向けられた。
「ちょっと、話を聞いてやらねばいけないようだ。少しの間、二人きりにしてくれるか?」
すまないな、と桂は眼を細める。プラカードを握る手がふるふると震えたが、主人の言葉にエリザベスは逆らおうとはしなかった。
「………お前はホント、どういうつもりなの。」
エリザベスのいなくなった部屋で、問いかける。桂は、ことりと首を傾ける。
「どう、とは。」
「あいつをどうするつもりかってんだよ。」
薄鼠の袖から覗く手首を掴む。桂は眼を瞬かせてから、口を開いた。
「別に、どうともしないさ。」
「本気で?」
「して、どうなる。相手は子供だぞ。」
だから、それが。
それ以上を口にして、自覚させることもできずに。銀時は桂の口を塞いだ。
当たり前だが、夜の空気は冷たい。終わらせて正気に返った途端、鼻がむずがゆくなって銀時は盛大なくしゃみをもらした。
「汚いぞ、唾を吐きかけるな」
腕の下で、桂が気怠そうに抗議をする。「悪ぃ。」と呟いて、己の唾が汚した白い顔に手をやった。
深夜とはいえ雨戸を開けた部屋でのことだ。桂は必死に声を殺していたが、誰かが聞いていたら何をやっていたかはもろバレだろう。これを気にして、すぐにでもここを引き払ってしまえばいいと思う。
「………さみぃ~。」
「そう思うなら、こんなところで事に及ぶな。」
ポカリと叩かれる。加減しているのか力が入らないのか、それは蚊に刺されたよりも痛くない。
「風呂でも沸かすか。」
「いや、いーわ。」
これ以上ここにいれば、きっとあの白ペンギンに撲殺される。何の解決にもなっていないけれど、欲を吐き出したことで幾分かすっきりとした気持ちになった。オトコって単純だ。
そう、何にも解決してない。桂の行動を束縛する権利など、自分にはない。
「銀時。」
名を呼ばれ、伸ばされた指が白い髪を梳く。ふわふわの感触を楽しんでいるようにも、だだっ子をあやしているようにも見えた。
見上げてくる瞳は、濡れている。快楽を押しつけられたのだから無理もない。かすかに翳っているのは、銀時の体が灯りを遮っているからだ。呼ぶ声が掠れているのも、自分が喘がせたからだ。いくら押し殺しても、喉が引きつるのは抑えられない。
そう思いたかった。
それなのに。
「案ずるな。俺は、揺らがぬ。」
眼を細めたはずみに、涙が一しずく頬を滑り落ちる。
それを見て。もう手遅れなのだと、悟った。
~Fin~